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こだわり

品質ならば大手に負けない

旬工房とココモのこだわり


品質

私事で申し訳ないが、30すぎて自分の子供が生まれたときに、人生観が音を立てて変わった。

まだ首も座らない、ふにゃふにゃの小さな子供を目の前にしながら、彼は一体どんなものを食べながら育っていくのだろうか、と考えていた。
「食べる物を販売する」者として、自分の店舗に置かれた商品を、一つ残らず、我が子に食べさせる自信があるか?
そう自問したとき、その時の私はまだ、胸を張って「ある」と答えられなかった。

思い出してみたら、子供のころからお袋は、新鮮な蕗(ふき)を醤油と味醂でじっくり炊き込んで、私に食べさせてくれた。マツバガニの牝をコッペガニといい、いまならば、1000円はするものが、子供のときには10円ぐらいで売っていた。品質のいいおいしいものを、きちんと調理したものを、食べてきたから、味覚に関する判断力もつき、いまの私がここにいる。父親として、子供に恥じることがないように、「自信をもって我が子に食べさせることができる」食品だけを店に置こうとこころに決めた。
 

だけど最初は、売り場が全然作れなかった。品質のいいおいしいものだけで、店をいっぱいにするには、情報も仕入れルートも圧倒的に不足していた。泣きたいほどの無力感のなか、一つまた一つといい品物を増やしていった。25坪の小さな店から、100坪の「愛情食品店」へ、そして325坪の「旬工房」へ。商品 に関する自信と一緒に、店舗がだんだん大きくなっていく。今の私は、自分の子供にいうことができる。

「お父さんの店のものなら、何でも食べて大丈夫だよ」と。 そのことがなにより、私を幸福にする。

代表取締役 飯田充寛

ベルマートいいだはこんな会社です

ベルマートいいだはこんな会社
 

ベルマートいいだの前身"飯田商店"は昭和初期祖父が若くして他界したあと祖母が3人の子供を育てるために豆腐屋をはじめたところからさかのぼる。
小さい店のことだから豆腐を売って生計を立てていくのはなかなか苦しく、その後野菜・乾物・天ぷら・うどん・お酒を置く場末のよろづ屋になっていった。
小売業もセルフサービスの流れの中で、昔ながらのやり方ではじり貧になり、閉店せざるをえないのはわかっていた。
幸せか不幸か現社長が学生だったころはオイルショックの後就職難の時代、流通業だけが大量採用をしていた。
将来家業を継ぐ決意で大手量販店に就職する、ここからベルマートいいだが歩みはじめる。

ベルマートいいだは努力を惜しまない

23才、大阪のスーパーにいる時から東京の先進スーパーを見学し、数多くのスーパーマーケットの良さを盗んできた。

アメリカにも数回視察に行き、流通業の大切さを実感した。ベルマートいいだにしかできないもの、ベルマートいいだだからできること。

お客様に喜んでいただける商品、居心地のよい空間を提供するために努力することを惜しまない。

ベルマートいいだの商売の原点

それは個人的なこと、初めて子供を持ったときに気づいた。

"この子に自身を持って食べさせる食品を提供したい"
"自分の子供に恥ずかしくない商売をしたい"

安全・安心・品質・鮮度の良い商品、味をごまかさない食品をひたすらまじめに提供したい。ベルマートいいだを指示していただけるお客様のために品質、鮮度にこだわりたい。

ベルマートいいだはカタツムリです

今の店がベストではありません。新しい食品がどんどん出てくる中で、今扱っている商品と比較して、品質・味を自分の舌でチェックする、よいもであれば変えていく。それはカタツムリのように地道でゆっくりしたものかもしれません。あくまでも流れにおし流されずに、自分たちのスタンスで着実に、確実に一歩一歩進化したい。

マハトマ・ガンジーのことば。"善きことはカタツムリの速度で進む"
そんな会社になりたいと思ってます。

ベルマートいいだの朝は早い

青果の仕入れは早朝5時にはしないの青果市場へ、その日入荷の野菜・果物を仕入れに出向く。

鮮魚の仕入れ担当者は地元舞鶴の漁連だけでなく、片道1時間もかかる宮津漁連や小浜漁連にも新鮮な魚を求めて行く。

自分の目で見て、品質・鮮度を確かめた商品を売りたい、電話1本で注文するような安直なしいれは絶対やらない。

それはお客様に失礼だから。